====== 人間失格 ====== ==== はしがき ==== 私 は、 その 男の 写真 を 三 葉、 見た ことがある。 一葉 は、 その 男の、 幼年時代、 とで も 言うべき であろうか、 十 歳 前後 かと 推定され る 頃の 写真であって、 その子 供が 大勢の 女の ひとに 取り かこまれ、 (それ は、 その子 供の 姉た ち、 妹た ち、 それから、 {{ruby|従姉妹|いとこ}}た ちか と 想像され る) 庭園の 池の ほとりに、 荒い 縞の {{ruby|袴|はかま}} を は いて 立ち、 首 を 三十 度 ほど 左に 傾け、 醜く 笑って いる 写真で ある。 醜く? けれども、 鈍い 人た ち (つまり、 美醜な どに 関心 を 持たぬ 人た ち) は、 面白く も 何とも 無い ような 顔 をして、 「可愛い 坊ちゃんで すね」 といい 加減な お世辞 を 言 つても、 まんざら 空お 世辞 に 聞えない くらいの、 S ぼ わば 通俗の 「可愛らし さ」 みたいな 影 も その子 供の 笑顔に 無い わけで はない の だが、 しかし、 いささか でも、 美醜に 就いての 訓練 を 経て 来た ひとなら、 ひとめ 見て すぐ、「なんて、 いやな 子供 だ」 と 頗る 不快そう に 眩き、 毛虫で も 払いの ける 時の こんな 不思議な 美貌の 青年 を 見た 事が、 いちど も 無 かった。 もう 一葉の 写真 は、 最も 奇怪な ものである。 まるで もう、 としの 頃が わからない。 頭 はいく ぶん 白髪の ようで ある。 それが、 ひどく 汚い 部屋 (部屋の 壁が 三箇 所 ほど 崩れ落ち ている のが、 その 写真に ハツ キリ 写つている) の 片隅で、 小さい 火鉢に 両手 を かざし、 こんど は 笑って いない。 どんな 表情 も 無い。 謂わば、 坐つて 火鉢に 両手 を かざしながら、 自然に 死んで いるような、 まことにい まわしい、 不吉な においの する 写真であった。 奇怪な の は、 それだけ でない。 その 写真に は、 ==== 第一の手記 ==== 恥の 多い 生涯 を 送って 来ました。 自分に は、 人間の 生活と いう ものが、 見当つ かない のです。 自分 は 東北の 田舎に 生れました ので、 汽車 を はじめて 見た の は、 よほど 大きくな つてから でした。 自分 は 停車場の ブリッジ を、 上って、 降りて、 そうし て それが 線路 を またぎ 越える ために 造られた もの だと 式の ような もので、 家族が 日に 三度々々、 時刻 をき め て 薄暗い 一 部屋に 集り、 お膳 を 順序 正しく 並べ、 食べ たくなくても 無言で ごはん を嚙 みながら、 うつむき、 家中に うごめい ている 霊た ちに 祈る ための もの かも 知 れ ない、 とさえ 考えた 事が あるく らいでした。 めし を 食べなければ 死ぬ、 という 言葉 は、 自分の 耳 に は、 ただ ィャ なお どかしと しか 聞え ませんで した。 その 迷信 は、 (いまでも 自分に は、 何だか 迷信の ように 思われて ならない のです が) しかし、 いつも 自分に 不 安と 恐怖 を 与えました。 人間 は、 めし を 食べなければ 死ぬ から、 そのために 働いて、 めし を 食べなければ な 店先で 笑い ましたよ。 葉 蔵 を 早く ここへ 呼びなさい」 また 一 方、 自分 は、 下男 や 下女た ち を 洋室に 集めて、 下男の ひとりに 滅茶苦茶に ピ ァノの キイ をた たかせ、 (田舎で はあり ましたが、 その 家に は、 たいて いのもの が、 そろって いました) 自分 は その 出鳕 目の 曲に 合せ て、 イン デ ヤンの 踊り を 踊って 見せて、 皆 を 大笑い さ せました。 次兄 は、 フラッシュ を 焚いて、 自分の イン デ ヤン 踊り を 撮影し て、 その 写真が 出来た の を 見る と、 さ ら さ 自分の 腰布 (それ は 更紗の 風呂敷でした) の 合せ 目 か ら、 小さい お チンボが 見えて いたので、 これが また 家 中の 大笑いでした。 自分に とって、 これ また 意外の 成 ばかり 書き、 先生から 注意 されても、 しかし、 自分 は、 やめませんでした。 先生 は、 実は こっそり 自分の その 滑稽 噺を 楽しみに している 事 を 自分 は、 知ってい たか ら でした。 或る日、 自分 は、 れいに 依って、 自分が 母 に 連れられて 上京の 途中の 汽車で、 おしっこ を 客車の たん つぼ 通路に ある 痰壺に してし まった 失敗 談 (しかし、 その 上京の 時に、 自分 は 痰壺と 知らずに したので はあり ま せんでした。 子供の 無邪気 を てらって、 わざと、 そう したので した) を、 ことさらに 悲しそう な 筆致で 書い て 提出し、 先生 は、 きっと 笑う という 自信が ありまし たので、 職員室に 引き揚げて 行く先 生の あと を、 そつ ==== 第二の 手 S 目 ==== 海の、 波打 際、 といっても いいくら いに 海に ちかい 岸辺に、 真黒い 樹 肌の 山桜の、 かなり 大きい のが 二十 本 以上 も 立ちなら び、 新 学年が はじまる と、 山桜 は、 褐色の ねばっこ いような 嫩葉 と共に、 青い 海 を 背景に して、 その 絢爛たる 花 を ひらき、 やがて、 花吹雪の 時 に は、 花びらが おびただしく 海に 散り 込み、 海面 を鏤 めて 漂い、 波に 乗せられ 再び 波打 際に 打ち かえされる、 その 桜の 砂浜が、 そのまま 校庭と して 使用せられ てい る 東北の 或る 中学校に、 自分 は 受験 勉強 もろく にしな かった のに、 どうやら 無事に 入学で きました。 そうし さしよ-つ て、 その 中学の 制帽の 徽章に も、 制服の ボタンに も、 桜の 花が 図案 化せられて 咲いて いました。 その 中学校の すぐ 近くに、 自分の 家と 遠い 親戚に 当 る 者の 家が ありまし たので、 その 理由 もあって、 父が その 海と 桜の 中学校 を 自分に 選んでくれ たのでした。 自分 は、 その 家に あずけられ、 何せ 学校の すぐ 近くな ので、 朝礼の 鐘の 鳴る の を 聞いて から、 走って 登校す 演技 は 実に のびのび として 来て、 教室に あって は、 い つも クラスの 者た ち を 笑わせ、 教師 も、 この クラス は 大庭 さえ いないと、 とてもい い クラスなん だが、 と 言 葉で は 嘆 じながら、 手で 口 を 覆って 笑って いました。 自分 は、 あの 雷の 如き 蛮声 を 張り上げる 配属 将校 を さ え、 実に 容易に 噴き出させる 事が 出来た のです。 もはや、 自分の 正体 を 完全に 隠蔽し 得た ので は ある まい か、 とほつ としかけ た 矢先に、 自分 は 実に 意外に も 背後から 突き刺されました。 それ は、 背後から 突き 剌す 男の) J たぶんに もれず、 クラスで 最も 貧弱な 肉体 をして、 顔 も 青ぶ くれで、 そうして たしかに 父兄のお 古と 思われる 袖が 聖徳 太子の 袖みたい に 長す ぎる 上衣 を 着て、 学課 は 少しも 出来ず、 教練 や 体操 はいつ も 見 学と いう 白痴に 似た 生徒でした。 自分 もさす がに、 そ の 生徒に さ え 警戒す る 必要 は 認め ていなかった のでし た。 その 日、 体操の 時間に、 その 生徒 (姓 はい ま 記憶し ていません が、 名 は 竹 一とい つた かと 覚えて います) その 竹 一は、 れいに 依って 見学、 自分た ち は 鉄棒の 練 習 を させられて いました。 自分 は、 わざと 出来るだけ 厳粛な 顔 をして、 鉄棒め がけて、 えいつ と 叫んで 飛び、 そのまま 幅 飛びの ように 前方へ 飛んで しまって、 砂地 で 外へ 飛び出そう として、 ふと 下駄箱の かげに、 竹 一 が しょんぼり 立って いるの を 見つけ、 行こう、 傘 を 貸 して あげる、 と 言い、 臆する 竹 一 の 手 を 引っぱって、 一緒に 夕立ちの 中 を 走り、 家に 着いて、 二人の 上衣 を 小母さんに 乾かしても らうよう にたの み、 竹 一 を 二階 の 自分の 部屋に 誘い込む のに 成功し ました。 その 家に は、 五十す ぎの 小母さんと、 三十く らいの、 眼鏡 を かけて、 病身ら しい 背の 高い 姉 娘 (この 娘 は、 いちどよ そへ お 嫁に 行って、 それから また、 家へ 帰つ ている ひとでした。 自分 は、 この ひと を、 ここの 家の ひとたちに ならって、 ァネサ と 呼んで いました) それ か、 自分 は、 そんな ふざけた、 やにさがった 気持で、 「思い当る ところ もあった」 わけで は 無い のです。 自分に は、 人間の 女性の ほうが、 男性よりも さらに 数倍 難解でした。 自分の 家族 は、 女性の ほうが 男性よ リも 数が 多く、 また 親戚に も、 女の子が たくさん あ リ_ またれ いの 「犯罪」 の 女中な どもい まして、 自分 は 幼 い 時から、 女とば かり 遊んで 育った といっても 過言で はない と 思って いますが、 それ は、 また、 しかし、 実 に、 薄氷 を 踏む 思いで、 その 女の ひとたちと 附 合って 来たので す。 ほとんど、 まるで 見当が、 つかない ので す。 五里霧中で、 そうして 時た ま、 虎の 尾 を 踏む 失敗 ぬ 生き もの は、 奇妙に 自分 を かまう のでした。 「惚れ られ る」 なんてい う 言葉 も、 また 「好かれる」 という 言葉 も、 自分の 場合に はちつ とも、 ふさわしく なく、 「かまわれる」 とで も 言った ほうが、 まだし も 実状の 説 明に 適して いるか も 知れません。 女 は、 男よりも 更に、 道化に は、 くつろぐ ようで し た。 自分が お道化 を 演じ、 男 はさす がに いつまでも ゲ ラゲ ラ 笑っても いません し、 それに 自分 も 男の ひとに 対し、 調子に乗って あまりお 道化 を 演じす ぎる と 失敗 するとい う 事 を 知っていました ので、 必ず 適当のと こ ろで 切り上げる ように 心掛けて いました が、 女 は 適 S と、 なぜ だか、 ひどく 声 を ひそめて、 竹 一に 言った のでした。 自分 は、 小学校の 頃から、 絵 はかくの も、 見る の も 好きでした。 けれども、 自分の かいた 絵 は、 自分の 綴 リ方 ほどに は、 周囲の 評判が、 よくありませんでした。 自分 は、 どだい 人間の 言葉 を 一 向に 信用して いません でした ので、 綴り方な ど は、 自分に とって、 ただお 道 化の 御 挨拶み たいな もので、 小学校、 中学校、 と 続い て 先生た ち を 狂喜 させて 来ました が、 しかし、 自分で は、 さっぱり 面白くな く、 絵 だけ は、 (漫画な ど は 別で すけれ ども) その 対象の 表現に、 幼い 我流ながら、 多 という ものが、 どうしても 出来ません。 それに また、 青春の 感激 だと か、 若人の 誇り だと かいう 言葉 は、 聞 いて 寒気が して 来て、 とても、 あの、 ハイス ク ー ル- ス ピ リットと かいう ものに は、 ついて 行けなかった の です。 教室 も 寮 も、 ゆがめられた 性慾の、 はきだめみ かんぺき たいな 気 さえして、 自分の 完璧に 近いお 道化 も、 そこ では 何の 役に も 立ちませんでした。 父 は 議会の 無い 時 は、 月に 一 週間 か 二週間し かその 家に 滞在して いませんで したので、 父の 留守の 時 は、 かなり 広い その 家に、 別荘 番の 老夫婦と 自分と 三人 だ けで、 自分 は、 ちょいちょい 学校 を 休んで、 さりと て 東京 見物な ど をす る 気 も 起らず (自分 はとうとう、 明 くすのき まさしげ 治 神宮 も、 楠 正 成の 銅像 も、 泉 岳 寺の 四十七士の 墓 も 見ずに 終りそう です) 家で 一 日中、 本 を 読んだり、 絵 を かいたり していました。 父が 上京して 来る と、 自 分 は、 毎朝 そそく さと 登校す るので したが、 しかし、 本 郷千駄 木 町の 洋画家、 安田新 太郎 氏の 画 塾に 行き、 三時 間 も 四時 間 も、 デッサンの 練習 をして いる 事 も あつたの です。 高等学校の 寮から 脱け たら、 学校の 授 業に 出ても、 自分 はまる で 聴講生み たいな 特別の 位置 にいる ような、 それ は 自分の ひがみ かも 知れなかった のです が、 何とも 自分自身で 白々 しい 気持が して 来て、 の はにかむ ような 微笑、 それが 見込みの ある 芸術家 特 有の 表情なん だ。 お近づきの しるしに、 乾杯! キヌ さん、 こいつ は 美男子だろう? 惚れち やい けない ぜ- こいつが 塾へ 来たお かげで、 残念ながら おれ は、 第二 番の 美男子と いう 事に なった」 堀 木 は、 色が 浅黒く 端正な 顔 をして いて、 画学 生に せびろ は 珍ら しく、 ちゃんとした 脊広を 着て、 ネクタイの 好 み も 地味で、 そうして 頭髪 もポ マ— ドを つけて まん 中 からべ つたり とわけ ていました。 自分 は 馴れぬ 場所で も あり、 ただもう おそろしく、 腕 を 組んだり ほどいた リ して、 それ こそ、 はにかむ よ うな 微笑ば かりして いました が、 ビィル を 二、 三 杯 飲 んで いるう ちに、 妙に 解放せられ たような 軽 さ を 感じ て 来たので す。 「僕 は、 美術学校に はいろうと 思って いたんです けど、 …:- J 「いや、 つまらん。 あんなと ころ は、 つまらん。 学校 は、 つまらん。 われらの 教師 は、 自然の 中に あり! 自然に 対する パァ トス!」 しかし、 自分 は、 彼の 言う 事に 一 向に 敬意 を 感じ ま せんでした。 馬鹿な ひと だ、 絵 も 下手に ちがいない、 しかし、 遊ぶ のに は、 いい 相手 かも 知れない と 考え ま ちに、 結局、 自分 は、 この 男に さえ 打ち破られました _ しかし、 はじめは、 この 男 を 好人物、 まれに 見る 好 人物とば かり 思い込み、 さすが 人間 恐怖の 自分 も 全く 油断 を して、 東京の よい 案内 者が 出来た、 くらいに 思つ ていました。 自分 は、 実は、 ひとりで は、 電車に 乗る と 車掌が おそろしく、 歌舞伎 座へ はいりた くても、 あ の 正面 玄関の 緋の 絨緞が 敷かれて ある 階段の 両側に 並んで 立って いる 案内嬢た ちがお そろし く、 レス トラ ンへ はいると、 自分の 背後に ひっそり 立って、 皿の あ くの を 待って いる 給仕の ボ ー ィが おそろしく、 殊に も 勘定 を 払う 時、 ああ、 ぎごちない 自分の 手つき、 自分 がありませんでした。 さらに また、 堀 木と 附 合って 救われる の は、 堀 木が 聞き手の 思惑な ど を てんで 無視して、 その 所謂 情熱 の 噴出す るが ままに、 (或いは、 情熱と は、 相手の 立場 を 無視す る 事 かも 知れません が) 四六時中、 くだらない おしゃべり を 続け、 あの、 二人で 歩いて 疲れ、 気まず き く い 沈黙に おちいる 危懼が、 全く 無い という 事でした。 人に 接し、 あの おそろしい 沈黙が その 場に あらわれる 事 を 警戒して、 もともと 口の 重い 自分が、 ここ を 先途 と 必死のお 道化 を 言って 来た ものです が、 いまこの 堀 木の 馬鹿が、 意識せ ずに、 そのお 道化 役 を みずからす のまに やら 無意識 の、 或るい まわしい 雰囲気 を 身辺に いつも ただよわせる ようになった 様子で、 これ は 自分 にも 全く 思い設けなかった 所謂 「おまけの 附録」 でし たが、 次第に その 「附録」 が、 鮮明に 表面に 浮き 上つ がくぜん て 来て、 堀 木に それ を 指摘せられ、 愕然として、 そう して、 いやな 気が 致しました。 はたから 見て、 俗な 言 い 方 を すれば、 自分 は、 淫売 婦に 依って 女の 修行 をし て、 しかも、 最近め つきり 腕 を あげ、 女の 修行 は、 淫 売婦に 依る のが 一ばん 厳しく、 また それだけに 効果の あがる もの だそう で、 既に 自分に は、 あの、 「女達 者」 という 匂いが つきまとい、 女性 は、 (淫売 婦に 限らず) 否定で きないの でありました。 自分 は、 それ を 堀 木 ご とき 者に 指摘せられ、 屈辱に 似た 苦さ を 感ずる と共に、 淫売 婦と 遊ぶ 事に も、 にわかに 興が 覚めました。 堀 木 は、 また、 その 見栄坊の モ ダニ ティから、 (堀 木 の 場合、 それ 以外の 理由 は、 自分に は 今もって 考えら れ ません のです が) 或る日、 自分 を 共産主義の 読書会 とかいう (R • S とかいって いたか、 記憶が はっきり 致しません) そんな、 秘密の 研究会に 連れて行 きまし た。 堀 木な どと いう 人物に とって は、 共産主義の 秘密 会合 も、 れいの 「東京 案内」 の 一 つくら いのもの だつ たの かも 知れません。 自分 は 所謂 「同志」 に 紹介 せら 低き に 流れる ように 自然に 肯定しながら も、 しかし、 それに 依って、 人間に 対する 恐怖から 解放せられ、 青 葉に 向つ て 眼 を ひらき、 希望の よろこび を 感ずるな ど という 事 は 出来ない のでした。 けれども、 自分 は、 い ち ども 欠席せ ずに、 その R • S (と 言った かと 思い ま すが、 間違って いるか も 知れません) なる ものに 出席 し、 「同志」 たちが、 いやに 一 大事の 如く、 こわばった 顔 をして、 一 プラス 一は 二、 というよ うな、 ほとんど 初等の 算術め いた 理論の 研究に ふけっている のが 滑稽 に 見えて たまらず、 れいの 自分のお 道化で、 会合 をく つろ がせる 事に 努め、 そのため か、 次第に 研究会の 窮 も、 マルクスに 依って 結ばれた 親愛 感 では 無かった の です。 非合法。 自分に は、 それが 幽かに 楽しかった のです。 むしろ、 居心地が よかった のです。 世の中の 合法と い う ものの ほうが、 かえって おそろしく、 (それに は、 底 知れず 強い ものが 予感せられ ます) そのから くりが 不 可 解で、 とても その 窓の 無い、 底冷えの する 部屋に は 坐って おられず、 外 は 非合法の 海で あっても、 それに 飛び込んで 泳いで、 やがて 死に 到る ほうが、 自分に は、 い つ そ 気楽の ようでした。 日蔭 者、 という 言葉が あります。 人間の 世に 於いて、 かも 知れない し、 また、 俗に、 脛に 傷 持つ 身、 という 言葉 も あるよう です が、 その 傷 は、 自分の 赤ん坊の 時 から、 自然に 片方の 經 にあら われて、 長ず るに 及んで 治癒 するど ころ か、 いよいよ 深くなる ばかりで、 骨に まで 達し、 夜々 の 痛苦 は 千変万化の 地獄と は 言いな が ら、 しかし、 (これ は、 たいへん 奇妙な 言い方です けど) その 傷 は、 次第に 自分の 血肉よりも 親しくな り、 その 傷の 痛み は、 すなわち 傷の 生きて いる 感情、 または 愛 情の 囁きの ように さえ 思われる、 そんな 男に とって、 れいの 地下運動の ダル ゥプ の 雰囲気が 、 へんに 安心で、 居心地が よく、 つまり、 その 運動の 本来の 目的よりも、 ムの 真の 信奉者に 見破られたら、 堀 木 も 自分 も、 烈火 の 如く 怒られ、 卑劣なる 裏切者と して、 たちどころに 追い払われた 事でしょう。 しかし、 自分 も、 また、 堀 木で さえ も、 なかなか 除名の 処分に 遭わず、 殊に も自 分 は、 その 非合法の 世界に 於いて は、 合法の 紳士た ち の 世界に 於け るよりも、 かえって のびのびと、 所謂 「健 康」 に 振舞う 事が 出来ました ので、 見込みの ある 「同 志」 として、 噴き出し たくなる ほど 過度に 秘密め かし た、 さまざまの 用事 をた のまれる ほどに なった のです- また、 事実、 自分 は、 そんな 用事 を いちど も 断った こ と は 無く、 平気で なんでも 引受け、 へんにぎ くしゃく して、 犬 (同志 は、 ポリス をそう 呼んで いました) に じんもん あやしまれ 不審 訊問な ど を 受け てし くじ るよう な 事 も 無かった し、 笑いながら、 また、 ひと を 笑わせながら、 その あぶない (その 運動の 連中 は、 一大事の 如く 緊張 し、 探偵小説の 下手な 真似み たいな 事まで して、 極度 の 警戒 を 用い、 そうして 自分に たのむ 仕事 は、 まこと に、 あっけに とられる くらい、 つまらない ものでした が、 それでも、 彼等 は、 その 用事 を、 さかんに、 あぶ ながって 力んで いるので した) と、 彼等の 称する 仕事 を、 とにかく 正確に やっての けて いました。 自分の そ の 当時の 気持と して は、 党員に なって 捕えられ、 たと きました。 父の 議員の 任期 も そろそろ 満期に 近づき、 いろいろ 理由の あった 事に 違いありません が、 もうこれ きリ選 挙に 出る 意志 も 無い 様子で、 それに、 故郷に 一 棟、 隠 居所な ど 建てたり して、 東京に 未練 も 無い らしく、 た かが、 高等学校の 一生 徒に 過ぎない 自分の ために、 邸 宅と 召使い を 提供して 置く の も、 むだな 事 だとで も考 えたの か、 (父の 心 もまた、 世間の 人た ちの 気持ちと 同 様に、 自分に はよ くわ かりません) とにかく、 その 家 は、 間も無く 人手に わたり、 自分 は、 本 郷森川 町の 仙 遊 館と いう 古い 下宿の、 薄暗い 部屋に 引越して、 そう て、 自分 は、 まごつきました。 送金 は、 やはり、 二、 リっ ぜん 三日で 消えて しまい、 自分 は 慄然と し、 心細 さの ため に 狂うよう になり、 父、 兄、 姉な どへ 交互に お金 を 頼 む 電報と、 イザイ フミの 手紙 (その 手紙に 於いて 訴え ている 事情 は、 ことごとく、 お道化の 虚構でした。 人 にもの を 頼む のに、 まず、 その 人 を 笑わせる のが 上策 と 考えて いたのです) を 連発す る 一方、 また、 堀 木に 教えられ、 せっせと 質屋が よい を はじめ、 それでも、 い つもお 金に 不自由 をして いました。 所詮、 自分に は、 何の 縁故 も 無い 下宿に、 ひとりで 「生活」 して 行く 能力が 無かった のです。 自分 は、 下宿 た。 武装蜂起、 と 聞き、 小さい ナイフ を 買い (いま 思 えば、 それ は 鈴 筆 をけ ずるに も 足りない、 きゃしゃな ナイフでした) それ を、 レン コ オトの ポケット にいれ、 あちこち 飛び 廻って、 所謂 「聯絡」 をつ ける のでした。 お 酒 を 飲んで、 ぐっすり 眠りたい、 しかし、 お金が あ りません。 しかも、 P (党の 事 を、 そういう 隠語で 呼 ん でいた と 記憶して いますが、 或いは、 違って いるか も 知れません) の ほうから は、 次々 と 息をつく ひま も 無い くらい、 用事の 依頼が まいります。 自分の 病弱の からだで は、 とても 勤まりそう も 無くなりました。 も ともと、 非合法の 興味 だけから、 その グル ゥプの 手伝 い をして いたので すし、 こんなに、 それ こそ 冗談から 駒が 出た ように、 いやにい そがし くな つて 来る と、 自 分 は、 ひそかに P の ひとたちに、 それ はお 門ち がいで しょう、 あなたた ちの 直系の ものた ちに やらせたら ど うです か、 というよ うないまい ましい 感を 抱く のを禁 ずる 事が 出来ず、 逃げました。 逃げて、 さすがに、 い い 気持 はせ ず、 死ぬ 事に しました。 その 頃、 自分に 特別の 好意 を 寄せて いる 女が、 三人 いました。 ひとり は、 自分の 下宿して いる 仙 遊 館の 娘 でした。 この 娘 は、 自分が れいの 運動の 手伝いで へと へと になって 帰り、 ごはん も 食べずに 寝て しまって か やよ、 あら、 いやよ、 と 言って、 そのうれ しがる 事、 ひどく みっともなく、 興が 覚める ばかりな のです。 そ こで 自分 は、 用事で も 言いつけて やれ、 と 思 うんです- 「すまない けどね、 電車 通りの 薬屋に 行って、 カルモ チン を 買って 来て くれない? あんまり 疲れす ぎて、 顔が ほてって、 かえって 眠れな いんだ。 すまない ね。 お金 は、 …… 」 「いい わよ、 お金なん か」 よろこんで 立ちます。 用 を 言いつける というの は、 決して 女 を しょげさせる 事で はなく、 かえって 女 は、 男に 用事 をた のまれる と 喜ぶ もの だとい う 事 も、 自分 にかく、 怒らせて は、 こわい、 何とかして、 ごまかさ なければ ならぬ、 という 思い 一 つのた めに、 自分 はい よいよ その 醜い、 いやな 女に 奉仕 をして、 そうして、 もの を 買って もらって は、 (その 買い物 は、 実に 趣味の 悪い 品ば かりで、 自分 はたいて い、 すぐに それ を、 焼 おやじ きとり 屋の 親爺な どに やって しまいました) うれし そ うな 顔 をして、 冗談 を 言って は 笑わせ、 或る 夏の 夜、 どうしても 離れない ので、 街の 暗い ところで、 その ひ とに 帰っても らいたい ばかりに、 キス をして やり まし たら、 あさましく 狂乱の 如く 興奮し、 自動車 を 呼んで ■ その ひとたちの 運動の ために 秘密に 借りて あるら しい 「心配 要りません」 なま どこかに 関西の 訛りが ありました。 そうして、 その 一言が、 奇妙に 自分の、 震え おののい ている 心 をし ず めて くれました。 いいえ、 お金の 心配が 要ら なくなつ たからで はありません、 その ひとの 傍に いる 事に 心配 が 要らない ような 気がした のです。 自分 は、 お 酒 を 飲みました。 その ひとに 安心して い るので、 かえって お道化な ど 演じる 気持 も 起らず、 自 じがね 分の 地金の 無口で 陰惨な と , J ろ を 隠さず 見せ て、 黙つ てお 酒 を 飲みました。 「こんなの、 おすき か?」 女 は、 さまざまの 料理 を 自分の 前に 並べました。 自 分 は 首 を 振りました。 「お 酒 だけ か? うち も 飲もう」 秋の、 寒い 夜でした。 自分 は、 ツネ子 (といった と 覚えて いますが、 記憶が 薄れ、 たしかではありません。 情死の 相手の 名前 を さえ 忘れて いるよう な 自分な ので す) に 言いつけられた とおりに、 銀座 裏の、 或る 屋台 のお 鮑 やで、 少しもお いしくない 鯧を 食べながら、 (そ の ひとの 名前 は 忘れても、 その 時の 鯧 のまず さ だけ は、 どうした 事 か、 はっきり 記憶に 残って います。 そうし て、 青大将の 顔に 似た 顔つきの、 丸坊主の おやじが、 首 を 振り 振り、 いかにも 上手みたい にご まかしながら 鯧を 握って いる 様 も、 眼前に 見る ように 鮮明に 思い出 され、 後年、 電車な どで、 はて 見た 顔 だ、 といろ いろ 考え、 なんだ、 あの 時の 鯧 やの 親爺 に似てい るんだ、 と 気が 附き 苦笑した 事 も 再三あった ほどでした。 あの ひとの 名前 も、 また、 顔 かたち さえ 記憶から 遠ざかつ ている 現在な お、 あの 鯧 やの 親爺の 顔 だけ は 絵に かけ る ほど 正確に 覚えて いると は、 よっぽど あの 時の 鯧が まずく、 自分に 寒さと 苦痛 を 与えた ものと 思われます- もともと、 自分 は、 うまい 鮑 を 食わせる 店と いうと こ ろに、 ひとに 連れられて 行って 食つ て も、 うまい と 思つ た 事 は、 いちど もありませんでした。 大き 過ぎる ので す。 親指く らいの 大きさに キチッ と 握れない もの かし ら、 といつ も 考えて いました) その ひと を、 待って い ました。 本 所の 大工さん の 二階 を、 その ひとが 借りて いまし た。 自分 は、 その 二階で、 日頃の 自分の 陰鬱な 心を少 しも かくさず、 ひどい 歯痛に 襲われて でもい るよう に、 片手で 頰を おさえながら、 お茶 を 飲みました。 そうし て、 自分の そんな 姿態が、 かえって、 その ひとに は、 気に いったよ うでした。 その ひと も、 身の まわりに 冷 たい 木枯しが 吹いて、 落葉 だけが 舞い 狂い、 完全に 孤 気流み たいに 持って いて、 その ひとに 寄り添う と、 こ ちらの からだ も その 気流に 包まれ、 自分の 持って いる 多少 トゲ トゲ した 陰鬱の 気流と 程よ く 溶け合い、 「水 底の 岩に 落ち 附く 枯葉」 のように、 わが 身 は、 恐怖 か らも 不安から も、 離れる 事が 出来る のでした。 あの 白痴の 淫売 婦 たちの ふところの 中で、 安心して ぐっすり 眠る 思いと は、 また、 全く 異 つて、 (だいいち、 あの プロス テ チュウ ト たち は、 陽気でした) その 詐欺 罪の 犯人の 妻と 過した 一夜 は、 自分に とって、 幸福な (こんな 大 それた 言葉 を、 なんの 躊躇 も 無く、 肯定し て 使用す る 事 は、 自分の この 全 手記に 於いて、 再び 無 いつもり です) 解放 せられた 夜でした。 しかし、 ただ 一夜でした。 朝、 眼が 覚めて、 はね 起 き、 自分 はもとの 軽薄な、 装える お道化 者に なって い ました。 弱虫 は、 幸福 を さえお それる ものです。 綿で 怪我 をす るんで す。 幸福に 傷つ けられる 事 も あるんで す。 傷つ けられな いうちに、 早く、 このまま、 わかれ たいと あせり、 れいのお 道化の 煙幕 を 張りめ ぐらす の でした。 「金の 切れめ が 縁の 切れめ、 つての はね、 あれ はね、 解釈が 逆なん だ。 金が 無くなる と 女に ふられる つて 意 味、 じゃあ 無 いんだ。 男に 金が 無くなる と、 男 は、 た 自分 は、 小声で ツネ子に 言いました。 それ こそ、 浴 びる ほど 飲んで みたい 気持でした。 所謂 俗物の 眼から 見る と、 ツネ子 は 酔漢の キスに も 価い しない、 ただ、 みすぼらしい、 貧乏く さい 女だった のでした。 案外と へ きれき も、 意外と も、 自分に は 霹靂に 撃ちく だかれた 思いで した。 自分 は、 これまで 例の 無かった ほど、 いくらで も、 いくらでも、 お 酒 を 飲み、 ぐらぐら 酔って、 ツネ 子と 顔 を 見合せ、 哀しく 微笑み 合い、 いかにもそう 言 われて みると、 こいつ はへんに 疲れて 貧乏く さいだ け の 女 だな、 と 思う と 同時に、 金の 無い 者 どうしの 親和 (貧富の 不和 は、 陳腐の ようで も、 やはり ドラマの 永遠 のテ ー マの 一 つ だと 自分 は 今では 思って いますが) そ いつが、 その 親和 感が、 胸に 込み上げて 来て、 ツネ子 がいと しく、 生れて この 時 はじめて、 われから 積極的 に、 微弱ながら 恋の 心の 動く の を 自覚し ました。 吐き ました。 前後不覚に なりました。 お 酒 を 飲んで、 こん なに 我 を 失う ほど 酔った の も、 その 時が はじめて でし た。 眼が 覚めたら、 枕 もとに ツネ子が 坐って いました。 本 所の 大工さん の 二階の 部屋に 寝て いたのでした。 「金の 切れめ が 縁の 切れめ、 なんて おっしゃって、 冗 談 かと 思うて いたら、 本気 か。 来て くれないの だもの。 から 脱し 切って いなかった のでしょう。 その 時、 自分 は、 みずからす すんでも 死のうと、 実感と して 決意し たのです。 その 夜、 自分た ち は、 鎌 倉の 海に 飛び込みました。 女 は、 この 帯 はお 店のお 友達から 借りて いる 帯 やから、 と 言って、 帯 を ほどき、 畳んで 岩の 上に 置き、 自分 も マント を 脱ぎ、 同じ 所に 置いて、 一緒に 入水し ました。 女の ひとは、 死にました。 そうして、 自分 だけ 助か りました。 自分が 高等学校の 生徒で はあり、 また 父の 名に もい くら か、 所謂 ニュ ウス. ヴ ァリュ があった のか、 新聞 てこうな のでしょう、 罪人と して 縛られる と、 かえつ て ほっとして、 そうして ゆったり 落ちついて、 その 時 の 追憶 を、 いま 書く に 当っても、 本当に のびのびした 楽しい 気持になる のです。 しかし、 その 時期の なつかしい 思い出の 中に も、 たつ た 一 つ、 冷汗 三 斗の、 生涯 わすれられぬ 悲惨な しくじ りが あつたの です。 自分 は、 検事局の 薄暗い 一 室で、 検事の 簡単な 取調べ を 受けました。 検事 は 四十 歳 前後 の 物静かな、 (もし 自分が 美貌だった としても、 それ は si わば 邪淫の 美貌だった に 違いありません が、 その 検 事の 顔 は、 正しい 美貌、 とで も 言いたい ような、 聡明 な 静謐の 気配 を 持って いました) コセコ セしない 人柄 のよう でした ので、 自分 も 全く 警戒せ ず、 ぼんやり 陳 述 していた のです が、 突然、 れいの 咳が 出て 来て、 自 分 は 抉から ハンケ チを 出し、 ふと その 血 を 見て、 この 咳 もまた 何 かの 役に立つ かも 知れぬ と あさましい 艇引 きの 心 を 起し、 ゴ ホン、 ゴ ホンと 二つば かり、 おまけ の 贋の 咳 を 大裝裟 に附け 加えて、 ハンケ チでロ を 覆つ たま ま 検事の 顔 を ちらと 見た、 間一髪、 「ほんとう かい?」 ものしずかな 微笑でした。 冷汗 三 斗、 いいえ、 いま 思い出しても、 きりきり舞い をした くなります。 中学 ==== 第三の手記 ==== 一 竹一の予言の、一つは当り、 一つ は、 はずれました。 ほ ig れられ ると いう、 名誉で 無い 予言の ほう は、 あたり ましたが、 きっと 偉い 絵画き になる という、 祝福の 予 言 は、 はずれました。 自分 は、 わずかに、 粗悪な 雑誌の、 無名の 下手な 漫 画家になる 事が 出来た だけでした。 鎌 倉の 事件の ために、 高等学校から は 追放せられ、 自分 は、 ヒ ラメの 家の 二階の、 三 畳の 部屋で 寝起きし て、 故郷から は 月々、 極めて 小額の 金が、 それ も 直接 に 自分 宛で はなく、 ヒ ラメのと ころに ひそかに 送られ て 来て いる 様子で したが、 (しかも、 それ は 故郷の 兄た ちが、 父に かくして 送って くれてい ると いう 形式に なって いたよう でした) それつ きリ、 あと は 故郷との 外出 を 固く 禁じて いるので した。 けれども、 酒 も 飲め ないし、 煙草 も 吸えない し、 ただ、 朝から 晚 まで 二階 の 三 畳の こたつに もぐって、 古 雑誌な ん か 読ん で 阿呆 同然の くらし をして いる 自分に は、 自殺の 気力 さえ 失 われて いました。 ヒ ラメの 家 は、 大久 保の 医専の 近くに あり、 書画 骨 董商、 青 竜 園、 だな どと 看板の 文字 だけ は 相当に 気張つ ていても、 一棟 二 戸の、 その 一戸で、 店の 間口 も 狭く、 店内 は ホコリ だらけで、 いい加減な ガラ クタば かり 並 ベ、 (もっとも、 ヒ ラメ は その 店の ガラ クタに たよって 商売して いる わけで はなく、 こっちの 所謂 旦那の 秘蔵 の もの を、 あっちの 所謂 旦那に その 所有権 を ゆずる 場 合な どに 活躍して、 お金 をもう けて いるら しいので す) 店に 坐って いる 事 は 殆ど 無く、 たいてい 朝から、 むず かしそう な 顔 をして そそく さと 出かけ、 留守 は 十七、 八の 小僧 ひとり、 これが 自分の 見張り番 という わけで、 ひま さえ あれば 近所の 子供た ちと 外で キャッチ ボ ー ル などして いても、 二階の 居候 を まるで 馬鹿 か 気違いく らいに 思って いるら しく、 大人の 説教く さい 事まで 自 分に 言い聞かせ、 自分 は、 ひとと 言い争いの 出来ない 質な ので、 疲れたよ うな、 また、 感心した ような 顔 を して それに 耳 を 傾け、 服従して いるので した。 この 小 を 取 寄せて 無言で 食べて いる 事が ありました。 ヒ ラメの 家で は 食事 はいつ も その 小僧が つくり、 二 ぜん 階の や つ か い 者の 食事 だけ は 別にお 膳に 載せて 小僧が 三度々々 二階に 持ち運んで 来て くれて、 ヒ ラメと 小僧 は、 階段の 下の じめじめした 四畳半で 何やら、 力 チヤ 力 チヤ 皿 小鉢の 触れ合う 音 を させながら、 いそがしげ に 食事して いるので した。 三月 末の 或る 夕方、 ヒ ラメ は 思わぬ もうけ 口にで も ありついた のか、 または 何 か 他に 策略で もあった のか、 (その 二 つの 推察が、 ともに 当っていた としても、 おそ らく は、 さらに また いくつかの、 自分な どに はとても 推察のと どかない こまかい 原因 もあった のでしょう が) 自分 を 階下の 珍ら しくお 铫子 など 附 いている 食卓 に 招いて、 ヒ ラメなら ぬ マ グロの 剌 身に、 ごちそうの あるじ しょうさん 主人み ずから 感服し、 賞讃 し、 ぼんやり している 居候 にも 少しく お 酒 をす すめ、 「どうす るつ もりなん です、 いったい、 これから」 自分 は それに 答えず、 卓上の 皿から 畳 鰯 をつ まみ 上げ、 その 小魚た ちの 銀の 眼 玉 を 眺めて いたら、 酔い が ほのぼの 発して 来て、 遊び 廻って いた 頃が なつかし く、 堀 木で さえな つかしく、 つくづく 「自由」 が 欲し くな リ、 ふっと、 か ぼ そく 泣きそう にな りました。 かし、 あなたの 気持が しっかり していて、 将来の 方針 を はっきり 打ち 樹て、 そうして 私に 相談 をして くれた ら、 私 は、 たといわず かずつ でも、 あなたの 更生の た めに、 お手伝いしょう とさえ 思って いるんで す。 わか ります か? 私の 気持が。 いったい、 あなた は、 これ から、 どうす るつ もりで いるので す」 「ここの 二階に、 置いて もらえなかったら、 働いて、 …:- J 「本気で、 そんな 事 を 言って いるので すか? いまの この 世の中に、 たとい 帝国 大学 校 を 出た つて、 …… 」 「いいえ、 サ ラリイ マンに な るんで は 無 いんです」 きに、 相談に 行こう などと 本気に 思って、 ヒ ラメの 家 を 出た ので は 無かった のでした。 それ は、 ただ、 わず かで も、 つかのま でも、 ヒ ラメに 安心 させて 置きた く て、 (その 間に 自分が、 少しで も 遠くへ 逃げの びて いた いという 探偵小説 的な 策略から、 そんな 置 手紙 を 書い かす た、 というより は、 いや、 そんな 気持 も 幽かに あった に違いないので すが、 それよりも、 やはり 自分 は、 い きな リヒ ラメに ショック を 与え、 彼 を 混乱 当惑 させて しまう のが、 おそろしかった ばかりに、 とで も 言った ほうが、 いくらか 正確 かも 知れません。 どうせ、 ばれ るに きまって いるのに、 そのと おりに 言う のが、 おそ 「正直者」 たちから、 大いに 乗ぜられる ところと なり ま した) その 時、 ふっと、 記憶の 底から 浮んで 来た まま に 堀 木の 住所と 姓名 を、 用 養の 端に したため たまでの 事だった のです。 自分 はヒ ラメの 家 を 出て、 新 宿まで 歩き、 懐中の 本 を 売り、 そうして、 やっぱり 途方に くれてし まい まし た。 自分 は、 皆に あいそが いいかわ りに、 「友情」 とい う もの を、 いちど も 実感した 事が 無く、 堀 木の ような 遊び 友達 は 別と して、 いっさいの 附き 合い は、 ただ 苦 痛 を 覚える ばかりで、 その 苦痛 を もみ ほぐそう として 懸命に お道化 を 演じて、 かえって、 へとへと になり、 わずかに 知合って いる ひとの 顔 を、 それに 似た 顔 を さ え、 往来な どで 見掛けても、 ぎょっとして、 一瞬、 め まいす る ほどの 不快な 戦慄に 襲われる 有様で、 人に 好 かれる 事 は 知っていても、 人 を 愛する 能力に 於いて は 欠けて いると ころが あるよう でした。 (もっとも、 自 分 は、 世の中の 人間に だって、 果して、 「愛」 の 能力が あるの かどう か、 たいへん 疑問に 思って います) その ような 自分に、 所謂 「親友」 など 出来る 害 は 無く、 そ のうえ 自分に は、 「訪問」 の 能力 さえ 無かった のです。 他人の 家の 門 は、 自分に とって、 あの 神曲の 地獄の 門 以上に 薄 気味 わるく、 その 門の 奥に は、 おそろしい 竜 自分に 見せて くれました。 それ は、 俗にい う チヤ ッカ がくぜん リ 性でした。 田舎者の 自分が、 愕然と 眼 をみ はった く らいの、 冷たく、 ずるい エゴイズムでした。 自分の よ うに、 ただ、 とめどなく 流れる たちの 男で は 無かった のです。 あき 「お前に は、 全く 呆れた。 親爺さん から、 お許しが 出 たかね。 まだ かい」 逃げて 来た、と は、 言えませんでした。 自分 は、 れいに 依って、 ごまかしました。 いまに、 すぐ、 堀 木に 気附 かれる に違いないのに、 ごまかし ま ひん, -0 なけれ やい けな いんです から。 いいえ、 でも、 せっか くの 御 自慢のお しるこ を、 もったいない。 いただき ま す。 お前 も 一 つ、 どうだい。 おふくろが、 わざわざ 作つ て くれたんだ。 ああ、 こいつ あ、 うめえ や。 豪気 だな あ」 と、 まんざら 芝居で も 無い みたい に、 ひどく 喜び、 すす おいし そうに 食べる のです。 自分 も それ を 啜りました が、 お湯のに おいが して、 そうして、 お餅 をた ベたら、 それ はお 餅で なく、 自分に はわから ない ものでした。 決して、 その 貧し さ を 軽蔑した のではありません。 (自 分 は、 その 時 それ を、 不味い と は 思いませんで したし、 また、 老母の 心づ くし も 身にしみました。 自分に は、 貧し さへの 恐怖 感 はあって も、 軽蔑 感は、 無い つもり でい ます) あのお しること、 それから、 そのお しるこ を 喜ぶ 堀 木に 依って、 自分 は、 都会人の つましい 本性、 また、 内と 外 を ちゃんと 区別して いとなんで いる 東京 の 人の 家庭の 実体 を 見せつ けられ、 内 も 外 も 変り なく、 ただの ベ つ 幕 無しに 人間の 生活から 逃げ 廻って ばかり いる 薄馬鹿の 自分 ひとり だけ 完全に 取 残され、 堀 木に さえ 見捨てられ たような 気配に、 狼狽し、 おしる この はげた 塗 箸 を あっかいながら、 たまらなく 侘びし い 思 い をした という 事 を、 記して 置きたい だけな のです。 「大久 保です」 ふいと 答えて しまいました。 「そんなら、 社の 近くです から」 女 は、 甲 州の 生れで 二十 八 歳でした。 五つになる 女 児と、 高 円 寺の アバ ー 卜に 住んで いました。 夫と 死別 して、 三年に なると 言って いました。 「あなた は、 ずいぶん 苦労して 育って 来たみ たいな ひ とね。 よく 気が きく わ。 可哀 そうに」 はじめて、 男め かけみ たいな 生活 をし ました。 シヅ 子 (というの が、 その 女 記者の 名前でした) が 新 宿の 雑誌 社に 勤めに 出た あと は、 自分と それから シゲ 子と いう 五つの 女児と 二人、 おとなし くお 留守番と いう 事 になり ました。 それまで は、 母の 留守に は、 シゲ子 は アバ ー トの 管理人の 部屋で 遊んで いたよう でした が、 「気の きく」 おじさんが 遊び相手 として 現われた ので、 大いに 御機嫌が いい 様子でした。 一週間 ほど、 ぼんやり、 自分 は そこにい ました。 ァ パ ー 卜の 窓の すぐ 近くの 電線に、 奴讽 がーつ ひっか らまって いて、 春の ほこり 風に 吹かれ、 破られ、 それ でも なかなか、 しつつ こく 電線にから みついて 離れず、 - つなず 何やら 首肯いた りなん かしてい るので、 自分 は それ を 見る 度 毎に 苦笑し、 赤面し、 夢に さえ 見て、 うなされ 飲み 残した 一 杯の アブサン。 自分 は、 その 永遠に 償い 難いよう な 喪失 感を、 こつ そりそう 形容して いました。 絵の 話が 出る と、 自分の 眼前に、 その 飲み 残した 一杯の アブサンが ちらついて 来て、 ああ、 あの 絵 を この ひとに 見せて やりたい、 そ しょうそ-つ うして、 自分の 画才 を 信じさせたい、 という 焦燥に も だえ るので した。 「ふ ふ、 どう だか。 あなた は、 まじめな 顔 をして 冗談 を 言う から 可愛い」 冗談で はない の だ、 本当なん だ、 ああ、 あの 絵 を 見 はんもん せて やりたい、 と 空転の 煩悶 をして、 ふいと 気 を かえ、 いたのでした。 自分 は、 それ以来、 シゲ 子に さえお ど おどしなければ なら なくなりました。 しきま 「色魔! いるかい?」 堀 木が、 また 自分のと ころへ たずねて 来る ように なって いたのです。 あの 家出の 日に、 あれほど 自分 を 淋しく させた 男な のに、 それでも 自分 は 拒否で きず、 幽かに 笑って 迎える のでした。 「お前の 漫画 は、 なかなか 人気が 出て いる そうじゃな くそ どきよ-つ いか。 アマチュアに は、 こわい もの 知らず の 糞度胸が あるから かなわね え。 しかし、 油断す るな よ。 デッサ ンが、 ちっとも なって やしないん だから」 かいう 怜悧 狡猾の 処生訓 を 遵奉して いるのと、 同じ 形 だ、 という 事になる のでし ようか。 ああ、 人間 は、 お 互い 何も 相手 を わからない、 まるっきり 間違って 見て いながら、 無二の 親友の つもりで いて、 一生、 それに 気附 かず、 相手が 死ねば、 泣いて 弔詞なん か を 読んで いるので はないで しょうか。 堀 木 は、 何せ、 (それ はシヅ 子に 押してた のまれて し ぶ し ぶ 引受けた に違いないので すが) 自分の 家出の 後 仕 末に 立ち合った ひとな ので、 まるでもう、 自分の 更 生の 大恩 人 か、 月下氷人 のように 振舞い、 もっともら しい 顔 をして 自分に お 説教め いた 事 を 言ったり、 また ■ 深夜、 酔つ ばらって 訪問して 泊ったり、 また、 五 円 (き まって 五 円でした) 借りて 行ったり する のでした。 「しかし、 お前の、 女道楽 もこの へんで よ すんだ ね。 これ 以上 は、 世間が、 ゆるさな いからな」 世間と は、 いったい、 何の 事でしょう。 人間の 複数 でしよう か。 どこに、 その 世間と いう ものの 実体が あ るので しょう。 けれども、 何しろ、 強く、 きびしく、 こわい もの、 とば かり 思って これまで 生きて 来たので すが、 しかし、 堀 木に そう 言われて、 ふと、 「世間と いうの は、 君 じ やない か」 という 言葉が、 舌の 先まで 出か かって、 堀 木 を 怒ら せる のが ィャ で、 ひっこめました。 (それ は 世間が、 ゆるさない) (世間 じ やない。 あなたが、 ゆるさない のでしょう?) (そんな 事 をす ると、 世間から ひどい めに 逢う ぞ) (世間 じ やない。 あなたでしょう?) (いまに 世間から 葬られる) (世間 じ やない。 葬む るの は、 あなたでしょう?) なんじ あくらつ ふるだぬき 汝は、 汝 個人のお そろし さ、 怪奇、 悪辣、 古狸 性、 ようば 妖婆 性 を 知れ! などと、 さまざまの 言葉が 胸中に 去 来した のです が、 自分 は、 ただ 顔の 汗 を ハンケ チで拭 いて、 ひやあせ 「冷汗、 冷汗」 と 言って 笑った だけでした。 けれども、 その 時 以来、 自分 は、 (世間と は 個人 じ や ないか) という、 思想め いた もの を 持つ ようになった のです。 そうして、 世間と いう もの は、 個人で はなかろう か と 思い はじめてから、 自分 は、 いままでより は 多少、 自分の 意志で 動く 事が 出来る ようにな りました。 シヅ 子 の 言葉 を 借り て 言えば 、 自分 は 少し わがまま になり おどおどし なくなりました。 また、 堀 木の 言葉 を 借り て 言えば、 へんに ケチ になり ました。 また、 シゲ 子の 言 葉 を 借りて 言 えば、 あま リシ ゲ子を 可愛がら なくな りました。 無口で、 笑わず、 毎日々々、 シゲ 子のお もり をし な がら、 「キン タ さんと オタさん の 冒険」 やら、 また ノン おしよ-つ キな トゥサンの 歴然たる 亜流の 「ノン キ 和尚」 やら、 また、 「セ ッカチ ピンチ ヤン」 という 自分ながら わけの わからぬ ャケ クソの 題の 連載 漫画 やら を、 各社の 御 注 文 (ぼつり ぼつり、 シヅ 子の 社の 他から も 注文が 来る ようになって いました が、 すべて それ は、 シヅ 子の 社 よりも、 もつ と 下品な 謂わば 三流 出版社からの 注文ば かりでした) に 応じ、 実に 実に 陰鬱な 気持で、 のろの ろと、 (自分の 画の 運筆 は、 非常にお そい ほうでした) いま はた だ、 酒代が ほしいば かりに 画いて、 そうして、 シヅ 子が 社から 帰る とそれ と 交代に ぶいと 外へ 出て、 高 円 寺の 駅 近くの 屋台 や スタンド . バァで 安くて 強い 酒 を 飲み、 少し 陽気に なって アバ ー トへ 帰り、 「見れば 見る ほど、 へんな 顔 をして いるね え、 お前 は。 ノン キ 和尚の 顔 は、 実は、 お前の 寝顔から ヒント を 得 たの だ」 「あなたの 寝顔 だって、 ずいぶん お老けに なりまして よ。 四十 男みたい」 「お前の せいだ。 吸い取られ たんだ。 水の 流れと、 人 昨日に 異らぬ 慣例に 従えば よい。 即ち 荒 つぼい 大きな 歓楽 を 避けて さ え い れば、 自然 また 大きな 悲哀 もや つて 来ない の だ。 ゆくて を 塞ぐ 邪魔な 石 を ひきがえる 蟾餘 は 廻つ て 通る。 上田 敏 訳の ギィ • シャ ルル • クロ ォ とかいう ひとの、 こんな 詩句 を 見つけた 時、 自分 は ひとりで 顔 を 燃える くらいに 赤く しました。 (それが、 自分 だ。 世間が ゆるす も、 ゆるさぬ もな 葬む る も、 葬 むらぬ もない。 自分 は、 犬よりも 猫より も 劣等な 動物な の だ。 蟾餘。 のそのそ 動いて いる だけ だ) 自分の 飲酒 は、 次第に 量が ふえて 来ました。 高 円 寺 駅 附近 だけでなく、 新 宿、 銀座の ほうにまで 出かけて しきた リ 飲み、 外泊す る 事 さえ あり、 ただもう 「慣例」 に 従わ ぬよう、 バァで 無頼漢の 振り をしたり、 片端から キス したり、 つまり、 また、 あの 情死 以前の、 いや、 あの 頃より さらに 荒んで 野卑な 酒飲みに なり、 金に 窮 して、 シヅ 子の 衣類 を 持ち出す ほどに なりました。 ここへ 来て、 あの 破れた 奴讽に 苦笑して から 一年 以 上 経って、 葉桜の 頃、 自分 は、 またも シヅ 子の 帯 やら 襦祥 やら を こっそり 持ち出して 質屋に 行き、 お金 を 作って 銀座で 飲み、 ニ晚 つづけて 外泊して、 三日 目の 晚、 さすがに 具合い 悪い 思いで、 無意識に 足音 をし の ばせ て、 アバ ー 卜の シヅ 子の 部屋の 前まで 来る と、 中 から、 シヅ 子と シゲ 子の 会話が 聞え ます。 「なぜ、 お 酒 を 飲む の?」 「お 父ち やん はね、 お 酒 を 好きで 飲んで いるので は、 な いんです よ。 あんまり いいひと だから、 だから、 … ;」 「いいひと は、 お 酒 を 飲む の?」 (幸福なん だ、 この 人た ち は。 自分と いう 馬鹿者が、 この 二人の あいだに はいって、 いまに 二人 を 滅茶苦茶 にす るの だ。 つつまし い 幸福。 いい 親子。 幸福 を、 あ あ、 もし 神様が、 自分の ような 者の 祈りで も 聞いて く れ るなら、 いちどだけ、 生涯に いちどだけで いい、 祈 る) 自分 は、 そこに うずくまって 合掌したい 気持でした- そっと、 ドア を 閉め、 自分 は、 また 銀座に 行き、 それつ きり、 その アバ— トには 帰りませんでした。 そうして、 京 橋の すぐ 近くの スタンド. バァの 二階 に 自分 は、 またも 男め かけの 形で、 寝そべる 事に なり びえ る 事から、 多少 解放 せられて、 以前 ほど、 あれ こ れと 際限の 無い 心遣いす る 事な く、 謂わば 差し 当って の 必要に応じて、 いくぶん 図々 しく 振舞う 事 を 覚えて 来たので す。 高 円 寺の アバ— トを 捨て、 京 橋の スタンド. バァの マダムに、 「わかれて 来た」 それだけ 言って、 それで 充分、 つまり 一本勝負 はき まって、 その 夜から、 自分 は 乱暴に も そこの 二階に 泊 り 込む 事に なった のです が、 しかし、 おそろしい 害の 「世間」 は、 自分に 问の 危害 も 加えませんで したし、 ま 京 橋へ 来て、 こういうく だらない 生活 を 既に 一年ち かく 続け、 自分の 漫画 も、 子供 相手の 雑誌 だけでなく、 ひわい 駅売り の 粗悪 で 卑猥な 雑誌な ど にも 載る ようになり、 自分 は、 上司 幾 太 (情死、 生きた) という、 ふざけ 切つ た 匿名で、 汚い はだかの 絵な ど 画き、 それにた いてい ルバ ィャッ 卜の 詩句 を插入 しました。 無駄な 御 祈りなん か 止せ つたら 涙 を 誘う ものなん か かなぐり すてろ まァ 一杯い こう 好い ことば かり 思 出して よけいな 心づ かいなん か 忘れつ ちまい な いずこに 指導原理 あり や? いかなる 獻智の 光 あり や? 美 わしく も 怖 しき は 浮世 なれ かよわき 人の子 は 背負 切れぬ 荷 をば 負わされ ばか どうに もで きない 情慾の 種子 を 植えつ けられた 許 り ^ ) 善 だ 悪 だ 罪 だ 罰 だ と 呪わる るば かり どうに もで きない 只 まご つくば かり 抑え 摧くカ も 意志 も 授けられぬ 許りに 何まで きまって しまうよ うな、 なまやさしい ところで も 無かった のでした。 堀 木と 自分。 互いに 軽蔑- ら を くだらな くして 行く、 それが この 世の 所謂 「交友」 けいべつ みず か 互いに 軽蔑しながら 附き 合い、 そうして 互いに 自 という ものの 姿 だとす るなら、 自分と 堀 木との 間柄 も ■ まさしく 「交友」 に 違いありませんでした。 自分が あの 京 橋の スタンド • バァの マダムの 義侠心 にす がり、 (女の ひとの 義侠心 なんて、 言葉の 奇妙な 遣 い 方です が、 しかし、 自分の 経験に 依る と、 少く とも 都会の 男女の 場合、 男よりも 女の ほうが、 その、 義俠 心と でもい うべ きもの をた つ ぷリと 持 つてい ました。 男 はたいて い、 おっかな びっくりで、 おていさい ばか リ 飾り、 そうして、 ケチ でした) あの 煙草屋の ヨシ子 つきじ を 内縁の妻に する 事が 出来て、 そうして 築地、 隅 田 川 の 近く、 木造の 二階建ての 小さい アバ ー 卜の 階下の 一 す。 「飲もう か」 と 自分。 「よし」 と 堀 木。 自分と 堀 木。 形 は、 ふたり 似て いました。 そっくり の 人間の ような 気がする 事 も ありました。 もちろん そ れは、 安い 酒 を あちこち 飲み 歩いて いる 時 だけの 事で したが、 とにかく、 ふたり 顔 を 合せる と、 みるみる 同 じ 形の 同じ 毛 並の 犬に 変り 降雪の ちまた を a けめ ぐる という 具合いになる のでした。 はいずれ も 悲劇 名詞で、 市電と バス は、 いずれも 喜劇 名詞、 なぜそう なのか、 それの わからぬ 者 は 芸術 を談 ずるに 足らん、 喜劇に 一 個で も 悲劇 名詞 を さしはさん でい る 劇作家 は、 既に それだけで 落第、 悲劇の 場合 も また 然リ、 といった ような わけなの でした。 「いい かい? 煙草 は?」 と 自分が 問います。 「トラ。 ( 悲劇 の 略)」 と 堀 木が 言 下に 答えます。 「薬 は?」 「粉薬 かい? 丸薬 かい?」 「注射」 「卜 ラ」 「そうかな? ホルモン 注射 も あるし ねえ」 「いや、 断然 トラ だ。 針が 第 一 、 お前、 立派な トラ じ や ないか」 「よし、 負けて 置こう。 しかし、 君、 薬 や 医者 はね、 あれで 案外、 コメ (喜劇の 略) なんだ ぜ。 死 は?」 おしょう r コメ。 牧師 も 和尚 も然 りじ やね」 「大出来。 そうして、 生 は トラ だな あ」 「ちがう。 それ も、 コメ」 「いや、 それで は、 1^ でも かで も 皆コメ になって しま う。 ではね、 もう 一 つお たずねす るが、 漫画家 は? よも や、 コメと は 言えませんで しょう?」 「トラ、 トラ。 大 悲劇 名詞!」 「なんだ、 大 トラ は 君の ほう だぜ」 こんな、 下手な 駄洒落み たいな 事に なって しまって は、 つまらな いのです けど、 しかし 自分た ち は その 遊 戯を、 世界の サロンに も嘗 つて 存 しなかった 頗る 気 のきいた もの だと 得意が つていた のでした。 またもう 一 つ、 これに 似た 遊戯 を 当時、 自分 は 発明 していました。 それ は、 対義語の 当てっこでした。 黒 の アン ト (対義語の 略) は、 白。 けれども、 白の アン 「冗談 は、 よそうよ。 しかし、 善 は 悪の アン トだ。 罪 の アン ト ではない」 「悪と 罪と は 違う のかい?」 「違う、 と 思う。 善悪の 概念 は 人間が 作った もの だ。 人間が 勝手に 作った 道徳の 言葉 だ」 「うるせ えな あ。 それじゃ、 やっぱり、 神だろう。 神- 神。 なんでも、 神に して 置けば 間違いない。 腹が へつ たな あ」 「いま、 したで ヨシ子が そら 豆 を 煮て いる」 「ありが てえ。 好物 だ」 あおむけ 両手 を 頭のう しろに 組んで、 仰向に ごろ リと寝 まし 出 鳕目を 言いながら 起き 上ります。 罪と 罰。 ドスト イエ フス キイ。 ちらと それが、 頭脳 の 片隅 を かすめて 通り、 はっと 思いました。 もしも、 あの ドスト 氏が、 罪と 罰 を シノニムと 考えず、 アン ト ニムと して 置き 並べた ものと したら? 罪と 罰、 絶対 に 相 通せざる もの、 氷炭 相 { かれざる もの。 罪と 罰をァ ント として 考えた ドストの 青み どろ、 腐った 池、 乱麻 の 奥底の、 …… ああ、 わかり かけた、 いや、 まだ、 … …などと 頭脳に 走馬燈 がくる くる 廻って いた 時に、 「おい! とんだ、 そら 豆 だ。 来い!」 堀 木の 声 も 顔色 も 変って います。 堀 木 は、 たったい さぬ 古代の 荒々 しい 恐怖 感 でした。 自分の 若白髪 は、 その 夜から はじまり、 いよいよ、 すべてに 自信 を 失い いよいよ、 ひと を 底 知れず 疑い、 この 世の 営みに 対す る 一 さいの 期待、 よろこび、 共鳴な どから 永遠に はな れ るよう になり ました。 実に、 それ は 自分の 生涯に 於 いて、 決定的な 事件でした。 自分 は、 まっこうから 眉間 を 割られ、 そうして それ以来 その 傷 は、 どんな 人 間にで も 接近す る 毎に 痛む のでした。 「同情 はする が、 しかし、 お前 もこれ で、 少し は 思い 知ったろう。 もう、 おれ は、 二度と ここへ は 来ない よ- ま るで、 地獄 だ。 …… でも、 ヨシち やん は、 ゆるして レッテル は、 爪で 半分 以上 も搔き はがされて いました が、 洋 字の 部分が 残って いて、 それに はっきり 書かれ ていました。 DIAL。 ジァ ー ル。 自分 は その 頃 もっぱら 焼酎で、 催眠剤 を 用いて はいませんで したが、 しかし、 不眠 は 自分の 持 病の ような もので したから、 たいていの 催眠剤に はお 馴染みでした。 ジァ ー ル のこの 箱 一 つ は、 たしかに 致 死 量 以上の 害でした。 まだ 箱の 封 を 切って はいません でした が、 しかし、 いっか は、 やる 気で こんなと ころ に、 しかも レッテル を搔き はがしたり などして 隠して いたのに 違いありません。 可哀想に、 あの 子に は レツ テルの 洋 字が 読めない ので、 爪で 半分 搔き はがして、 これで 大丈夫と 思って いたのでしょう。 (お前に 罪 は 無い) 自分 は、 音を立てな いように そっと コップに 水を満 たし、 それから、 ゆっくり 箱の 封 を 切って、 全部、 一 気に 口の 中に ほうり、 コップの 水 を 落ちついて 飲み ほ し、 電燈を 消して そのまま 寝ました。 三 昼夜、 自分 は 死んだ ようになって いたそう です。 医者 は 過失と 見なして、 警察に とどける の を 猶予して かくせ い くれた そうです。 覚醒し かけて、 一ばん さきに 眩いた うわごと は、 うちへ 帰る、 という 言葉だった そうです- 見舞いと して 置いて 行った お金 (ヒ ラメ は それ を、 渋 田の 志です、 と 言って いかにも ご 自身から 出た お金の ようにして 差 出し ましたが、 これ も 故郷の 兄た ちから のお 金の ようでした。 自分 も その 頃に は、 ヒ ラメの 家 から 逃げ出した あの 時と ちがって、 ヒ ラメの そんな もったい 振った 芝居 を、 おぼろげながら 見抜く 事が 出 来る ようになって いました ので、 こちら もずる く、 全 く 気づかぬ 振り をして、 神妙に そのお 金のお 礼 をヒラ メに 向って 申し上げた のでした が、 しかし、 ヒ ラメた ちが、 なぜ、 そんな ややこしい カラク リを やら かすの か、 わかる ような、 わからな いような、 どうしても 自 分に は、 へんな 気がして なりませんでした) そのお 金 で、 思い切って ひとりで 南 伊豆の 温泉に 行って みた リ などし ましたが、 とても そんな 悠長な 温泉 めぐりな ど 出来る 柄で はなく、 ヨシ子 を 思えば 侘びし さ 限りなく、 宿の 部屋から 山 を 眺めるな どの 落ちついた 心境に は甚 だ 遠く、 ド テラに も 着換えず、 お湯に も はいらず、 外 へ 飛び出して は 薄汚い 茶店みたい なと ころに 飛び込ん で、 焼酎 を、 それ こそ 浴びる ほど 飲んで、 からだ 具合 い を 一 そう 悪く して 帰京した だけの 事でした。 東京に 大雪の 降った 夜でした。 自分 は 酔って 銀座 裏 を、 ここ はお 国 を 何百 里、 ここ はお 国 を 何百 里、 と 小 「お 酒 をお よしに ならなければ」 自分た ち は、 肉 身の ようでした。 「アル中に なって いるか も 知れな いんです。 いまでも 飲みたい」 「いけません。 私の 主人 も、 テ ー ベの くせに、 菌を酒 で 殺 すんだ なんて 言って、 酒び たりに なって、 自分 か ら 寿命 を ちぢめました」 「不安で いけな いんです。 こわくて、 とても、 だめな ん です」 「お 薬 を 差し上げます。 お 酒 だけ は、 およしなさい」 奥さん (未亡人で、 男の子が ひとり、 それ は 千 葉 だ かど こだかの 医大に はいって、 間もなく 父と 同じ 病い しゅ-つと にか かり、 休学 入院 中で、 家に は 中風の 舅 が 寝て い ま ひ て、 奥さん 自身 は 五 歳の 折、 小児 痲痺で 片方の 脚が 全 然 だめな のでした) は、 松葉杖 をコ トコ トと 突きな が ら、 自分の ために あっちの 棚、 こっちの 引出し、 いろ いろと 薬品 を 取 そろえて くれる のでした。 これ は、 造血剤。 これ は、 ヴ イタ ミンの 注射液。 注射器 は、 これ。 これ は、 カルシウムの 錠剤。 胃腸 を こわさな いよう に、 ジ ァスタ ー ゼ。 これ は、 何。 これ は、 何、 と 五、 六 種の 薬品の 説明 ネを 注射し ました。 不安 も、 焦燥 も、 はにかみ も、 きれい 綺麗に 除去せられ、 自分 は 甚だ 陽気な 能弁家になる の でした。 そうして、 その 注射 をす ると 自分 は、 からだ の 衰弱 も 忘れて、 漫画の 仕事に 精が 出て、 自分で 画き ながら 噴き出して しまう ほど 珍妙な 趣向が 生れる の で ひ i. こ。 一日 一本の つもりが、 二 本に なり、 四 本に なった 頃 に は、 自分 はもう それが 無ければ、 仕事が 出来ない よ うにな つてい ました。 「いけませんよ、 中毒に なったら、 そリ やもう、 たい へんです」 薬屋の 奥さんに そう 言われる と、 自分 はもう 可成り の 中毒 患者に なって しまった ような 気がして 来て、 (自 分 は、 ひとの 暗示に 実に もろく ひっかかる たちな ので す。 このお 金 は 使つ ちゃい けない よ、 と 言っても、 お 前の 事 だものな あ、 なんて 言われる と、 何だか 使わな いと 悪い ような、 期待に そむく ような、 へんな 錯覚が 起って、 必ずす ぐに そのお 金を使って しまう のでした) その 中毒の 不安の ため、 かえって 薬品 をた くさん 求め るよう になった のでした。 「たのむ! もう 一 箱。 勘定 は 月末に きっと 払います から」 いくら 仕事 をしても、 薬の 使用量 もしたがって ふえ ている ので、 薬代の 借りが おそろしい ほどの 額に のぼ り、 奥さん は、 自分の 顔 を 見る と 涙 を 浮べ、 自分 も 涙 を 流しました。 地獄。 この 地獄から のがれる ための 最後の 手段、 これが 失 敗したら、 あと はもう 首 をく くるば かりだ、 という 神 の 存在 を 賭ける ほどの 決意 を 以て、 自分 は、 故郷の 父 あてに 長い 手紙 を 書いて、 自分の 実情 一 さい を (女の 事 は、 さすがに 書け ませんで したが) 告白す る 事に し ました。 しかし、 結果 は 一 そう 悪く、 待て ど暮 せど 何の 返事 も 無く、 自分 は その 焦燥と 不安の ために、 かえって 薬 の 量 を ふやして しまいました。 今夜、 十本、 一 気に 注射し、 そうして 大 川に 飛び込 もうと、 ひそかに 覚悟 を 極めた その 日の 午後、 ヒ ラメ が、 悪魔の 勘で 嗅ぎつ けたみ たいに、 堀 木 を 連れて あ ら われました。 「お前 は、 喀血し たんだつ てな」 堀 木 は、 自分の 前に あぐらをか いてそう 言い、 いま 1+6 Hi 一ん まで 見た 事 も 無い くらいに 優しく 微笑みました。 その 優しい 微笑が、 ありがたくて、 うれしくて、 自分 はつ い 顔 を そむけて 涙 を 流しました。 そうして 彼の その 優 しい 微笑 一 つで、 自分 は 完全に 打ち破られ、 葬り去ら れて しま つたので す。 自分 は 自動車に 乗せられました。 とにかく 入院し な ければ ならぬ、 あと は 自分た ちに まかせなさい、 とヒ ラメ も、 しんみりした 口調で、 (それ は 慈悲 深いと でも 形容したい ほど、 もの 静かな 口調でした) 自分に すす め、 自分 は 意志 も 判断 も 何も 無い 者の 如く、 ただ メソ メソ 泣きながら 唯々 諾々 と 二人の 言い つけに 従う ので した。 ヨシ子 も いれて 四 人、 自分た ち は、 ずいぶん 永 いこと 自動車に ゆられ、 あたりが 薄暗くな つた 頃、 森 (三 葉の 写真、 その 奇怪 さに 就いては、 はしがき にも 書 いて 置いた) その 写真に 心 を ひかれ、 とにかく ノ ー ト を あずかる 事に して、 帰りに はまた ここへ 立ち寄り ま すが、 何 町 何番 地の 何さん、 女子大の 先生 をして いる ひとの 家 を ご存じな いか、 と 尋ねる と、 やはり 新 住民 同志、 知っていた。 時た ま、 この 喫茶店に もお 見えに なるとい う。 すぐ 近所であった。 その 夜、 友人と わずかな お 酒 を 汲み 交し、 泊めても らう 事に して、 私 は 朝まで 一睡 もせずに、 れいの ノ— トに 読み ふけった。 その 手記に 書かれて あるの は、 昔の 話で はあった が、 底本 : 「人間 失格」 新潮 文庫、 新潮 社 1952 (昭和 g^) 年^ 月^日 発行 1985 (昭和^) 年 1 月^日 § 刷 改版 初出 : 「展望」 筑摩 書房 1948 年 (昭和 年) 6^8 月 号 入力 : 細 渕真弓 校正 : 八 巻美惠 1999 年 ー 月 ー 日 公開 2 oil 年 1 月 9 日疹正 青空 文庫 作成 ファイル " この ファイル は、 インタ ー ネットの 図書館、 青空 文庫 (http://www.aozora.gr.jp/) で 作られました。 入力、 校正、 制作に あたった の は、 ボランティアの 皆さんで す。